深谷市出身の渋沢成一郎

渋沢成一郎は深谷市出身の有名人の一人です。
成一郎は1838年に血洗島村で渋沢文左衛門の息子として生を受けました。
青年時に渋沢栄一たちと結託して高崎城を乗っ取ろうとしますが失敗し、江戸に逃れることになります。
1864年には一橋慶喜に仕えました。交渉役としての功績が認められ、2年後には陸軍附調役になっています。1867年に慶喜が将軍になると、奥右筆に任命されました。
1868年の戊辰戦争では鳥羽伏見の戦いに参加しました。その後彰義隊を結成して頭取になっています。しかし、同年に副頭取の天野八郎と対立し、彰義隊を抜けることになります。
その後振武軍を結成した成一郎は官軍と戦うものの敗退しました。やがて振武軍と彰義隊の残党が合流した新しい彰義隊の頭となります。
成一郎は蝦夷地に赴いて箱館戦争に参加しました。戦争が終わる直前に旧幕府軍を抜けて潜伏しますが、出頭して投獄されます。
明治時代になると大蔵省に入省しました。